長年にわたり培った高度な技術力により、化粧品の世界において新しい価値と機能を創造します。
得意先としてのお客様、そしてエンドユーザーとしてのお客様に喜びと満足をお届けするため、心から誇れるクオリティの高い製品を供給します。
変化を恐れることなく革新を追求し、化粧品市場の発展に貢献することを通じて、社員が働く歓びと誇りの持てる企業を目指します。
企業名 | 中井紙器工業株式会社 Nakai Craft Industry Corporation.LTD. |
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創立 | 大正6年 6月 |
会社設立 | 昭和29年 9月 |
資本金 | 3000万円 |
代表取締役 | 代表取締役社長 中井正裕 |
所在地 | 【本社】 〒110-0015 東京都台東区東上野3-34-6 東上野フロントビル4F |
TEL | Tel:03-3833-8261 Fax:03-3833-8265 |
従業員数 | 65名 |
事業所 | 【東京工場】 〒124-0001 東京都葛飾区小菅1-11-25 Tel:03-3602-8187(代表) Fax:03-3602-8188 【商品事業課】 〒332-0002 埼玉県川口市弥平2-19-11 MAP Tel:048-223-9594(代表) Fax:048-223-9551 【滋賀工場】 〒520-2314 滋賀県野洲市小堤380-10 Tel:077-587-3176(代表) Fax:077-586-1571 【滋賀第二工場】 〒520-2316 滋賀県野洲市上屋144-10 Tel:077-599-6126(代表) Fax:077-599-6135 |
当社は大正6年9月に創業者 中井久次郎が京都右京区より東京市浅草区小島町に居を移し、紙箱の仕事を始めました。
当時は黄ボール紙芯材に、断裁からスジ入れ、貼り加工まですべての工程は手作業で、主に下駄函、草履函、和装小物入れなどを作っていました。
その後、昭和になり、「小西商店」の将棋駒の貼箱や「スミダダイマル」のブリキおもちゃ用ハンドバッグ形式の組立函などを開発してきました。戦後、昭和20年代には、「銀座オリンピック」「新宿山田洋菓子」のロシアケーキなどの箱を手掛けるようになりました。 昭和29年9月、先々代 中井幸太郎が個人企業から株式会社に改組し、資生堂の「ホルモリンクリーム」の貼箱や「イルドルックス」の香水用貼箱を受注し、これを機に台東区松谷1丁目、現在の松ヶ谷福祉会館の場所に女子従業員15名、男子従業員4名の体制からなる資生堂専用加工所を設立しました。当時の貼箱の手作り技術は現在の水準と比べても遜色のない優れたものでした。当社は化粧品の貼箱を中心に事業を拡大し、「桜木封筒」や「東京ハンカチーフ」とともに洗練された製品を提供する企業として急速な発展を遂げました。
昭和38年には、海外化粧品のマックスファクター、レブロン、へレナルビンスタインが日本に進出して製造販売を始め、当社はこれら3社の丸箱、印刷紙器、緩衝材を一手に受注して今日の基礎を築きました。更に昭和40年にポーラ化粧品、カネボウ化粧品、コーセー化粧品と新たに取引契約を結び、ポーラ「マキファール」「エクセル」、 カネボウ「イフシリーズ」 、マックスファクター「パンケーキ」、「ウルトラルーセント」、 レブロン「タッチ&グロウ」、コーセー「コスメデコルテ」など、フェイスパウダー容器の専門メーカーとして発展してきました。
こうした流れのなか、昭和48年には滋賀県野洲市に新工場を建設し、欧米化粧品各社の諸包材を製造していました。滋賀工場は現在では主に印刷紙器及び不織布フェイスマスクを製造しています。また、昭和55年には堀切工場を葛飾区小菅に移し、現在の東京工場を設立、稼動しました。
昭和60年代に入り化粧品業界も売上額は1兆円規模で足踏み状態となりました。この状況に対応し、先代の後を継いだ会長の中井孝行は、これまでの受注専門メーカーから、顧客ニーズを満たすべく提案型営業方針へと展開を図りました。更に、平成2年には埼玉県川口市に商品事業部を設置して化成品及び販促品の営業拡大を図るとともに、平成15年、営業部の一層の充実と顧客・取引先との利便性向上を狙いに本社を台東区東上野3丁目の現在地に移し、現在に至っています。